やべっちFC 7/5放送 遠藤保仁選手がJ1史上最多出場達成
Pocket

やべっちFCでまた偉大な記録更新が発表されました。

ガンバ大阪の遠藤保仁選手が2020年7月4日のセレッソ大阪戦で楢崎正剛さんの記録を塗り替え、J1史上最多となる通算632試合出場を達成しました。しかも、ガンバ大阪は2013年J2に入っておりそれも含めると665試合です。

約20年間、ほぼ欠場することなく試合に出場している計算になります。

日本代表に選ばれてW杯に出場したこともあり、知名度は十分ですがこの偉業達成を機に遠藤選手ってどんな人なの?というところをたどってみたいと思います。

遠藤保仁選手プロフィール


遠藤 保仁(えんどう やすひと) ガンバ大阪所属 MF 背番号7

生年月日 1980年1月28日 出身地 鹿児島県桜島町
身長/体重 178cm/75kg 血液型 AB
利き足 ニックネーム ヤット

幼少期からプロ入りまで

3人兄弟の末子として生まれ2人のお兄様がサッカーをしており、物心ついた頃からボールを蹴っていました。
高校選手権やW杯のビデオで気に入ったプレーを真似てテクニックを身に着けていきました。
鹿児島実業高校では1995年1年生の時、高校選手権優勝、2年生の時、高円宮杯優勝、高校選手権では準々決勝でPK戦で敗れたものの大会優秀選手に選ばれ、U-18日本代表に選ばれました。また、当時のブラジル人コーチのすすめで1ヶ月間のブラジル留学にも行きました。

プロ入りしてからの歩み

横浜フリューゲルス(1998~1999年) 開幕の横浜マリノス戦でプロデビューと順調なスタート
京都パープルサンガ(1999~2000年) 横浜フリューゲルス消滅のため移籍。レギュラーとして定着。当時のチームメートに三浦知良、松井大輔、パク・チソンなどがいた
ガンバ大阪(2001年~) 京都がJ2降格となったためガンバ大阪に完全移籍

ご覧の通りプロ入りして3年でガンバ大阪に移籍して、そこからずっとガンバ大阪ですからチームの象徴と言われるのも納得です。
中でも自身にとって初となるシーズン2桁得点を記録し、ガンバ大阪にとって初タイトルとなるJ1リーグ優勝を飾った2005年は優勝を決める決勝点を遠藤選手自身が決めたこともあり大きな経験となりJリーグでも記憶に残る年でした。
生粋のサポ-ターであった時期を経て現チームメイトである宇佐美貴史選手もNumber6/18号で語っています

生粋のサポーター少年だった宇佐美にとって、憧れのチームは’05年のガンバだ。

アラウージョ、大黒将志、フェルナンジーニョのアタッカー陣が敵陣で暴れ回り、中盤では遠藤保仁がゲームをコントロールする。家長と渡辺光輝がサイドを制圧すれば、DFの山口智とシジクレイがセットプレーからゴールを陥れた。

「取られても、それ以上取ったら勝てんねんで、っていうアタッキングサッカー。ジュニアユースの選手って、ホームゲームを無料で見られるんですけど、昔と違ってめちゃくちゃ強かった。今日も勝つんやろな、点もいっぱい取るんやろなって。あんな楽しみなことはなかったですね」

2006年は抜群のパスワークで相手を圧倒する黄金の中盤の一角を担い、攻撃陣を牽引してきたが、10月の日本代表遠征中に発熱し1ヶ月以上の戦線離脱を余儀なくされ、その年はリーグ優勝を逃し連覇を逃しました。

2007年はシーズン全34試合にフル出場しナビスコカップ優勝に大きく貢献しました。

2008年はアジアチャンピオンンズリーグでアシストを連発し、クラブ初のアジア制覇に貢献し大会MVPを受賞しました。
さらに12月にクラブW杯に出場し、準決勝でマンUと3-5の打ち合いを演じました。

2011年11月26日に33節で史上7人目となるJ1史上通算400試合出場を達成

2012年ガンバ大阪が極度の不振に陥りJ2に降格。

2013年プロ以来初のチームキャプテンに選出され、1年でのJ1復帰に大きく貢献しました。

2014年ナビスコカップ優勝、J1復帰1年目2度目の優勝、自身初のJリーグMVP受賞

2015年10月17日浦和戦でJ歴代最年少でJ1通算500試合出場を達成

2018年11月10日湘南戦でフィールドプレーヤー初となるJ1通算600試合出場を達成

2019年8月2日ヴィッセル神戸戦で日本人選手では初となる公式戦1000試合出場を達成

2020年7月4日セレッソ大阪戦でついにJ1史上最多の通算632試合出場を達成

このように次々と記録を塗り替えてきた遠藤選手です。

2008年には海外からのオファーもありましたが、断っています。遠藤選手自身は今も海外に行きたい思いはあるとのことですが、場所とタイミンングにこだわりがあるようです。

日本代表での活躍

皆さんもよくご存知の通り長い期間にわたって代表に選出されているのがよくわかります。
1999年 第10回ワールドユース選手権U-20日本代表に出場し準優勝に貢献、シドニーオリンピック予選のU-22代表
2002年 ジーコ監督によってフル代表に初召集され、11月20日のキリンチャレンジカップ、アルゼンチン戦で初出場し代表に定着します。
2007年 オシム監督が病に倒れ、引き継いだ岡田監督によってオフェンシブハーフから長谷部選手とのダブルボランチを形成し「日本の心臓」と称される活躍をします。
2010年 南アフリカW杯に選出され6月の本大会には司令塔として全試合スタメン出場しました。6月25日のグループリーグ第3戦のデンマーク戦では直接フリーキックを決めてW杯初得点を挙げ、4試合トータルでチーム1の走行距離を記録するなど、日本代表初のアウェーでのベスト16入りに大きく貢献。

このフリーキックについて遠藤本人は、「(本田圭佑が蹴る事を希望していたが)圭佑は1本目決めてたんで、俺に蹴らせろみたいな感じ」で自身が蹴る事にしたと語っている

wikipediaより

緊張感漂う場面でこんなやり取りをするところが緊張とは無縁な遠藤選手らしく何だか微笑ましいですね。

尚、本大会は公式ボールが無回転シュート向けの特性を持ち、横回転を掛け難い“ジャブラニ”が採用されたため、多くのカーブ系のキックを得意とする選手が悪戦苦闘する事態になった。そんな中、遠藤はジャブラニを自在に操り、前述のフリーキックだけでなく起点としてもカメルーン戦の本田選手のゴール、デンマーク戦の岡崎選手のゴールを演出。岡田監督が「このチームの心臓」と評したとおりの活躍を見せ期待に応えます。

2010年10月12日韓国との親善試合で井原正巳さん川口能活さん中澤佑二さんに次ぐ4人目、GKとDF以外のポジションの選手では初となるフル代表100試合出場を達成

南アフリカW杯後に日本代表監督に就任したザッケローニ監督からもレギュラーとして起用され、2011年1月に開催されたアジアカップでは全6試合にスタメン出場を果たし、チーム最年長、チーム最多CAP選手として若いチームを引っ張り、中盤の底から決定的なパスを何本も供給し、ゲームをコントロールし続けた大車輪の活躍で、日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に大きく貢献し、大会MVPに輝いた本田選手は、MVPについて感想のコメントを求められ「個人的にはヤットさん(遠藤)だと思う。ああいう人がいなかったら勝負は紙一重だった」と遠藤戦手を讃えました。

2012年10月12日、フランスとの国際親善試合にフル出場し、井原正巳さんが持っていた日本代表の国際Aマッチ最多出場記録の122試合に並ぶと、続く16日のブラジル戦にも出場し、最多出場記録を13年ぶりに更新。さらに翌2013年9月10日のガーナ戦に出場したことで、それまで東アジア諸国の国際Aマッチ最多出場記録を持っていた韓国・洪明甫さんの136に並び、10月11日のセルビアとの欧州遠征第1戦に出場して137試合目となり、東アジア最多出場記録を更新します。

2014年5月、ブラジルW杯代表に選出され、日本代表では唯一ドイツ大会から3大会連続選出となりました。本大会では、クラブで調子を落としていたことから直前でレギュラーから外され、第1戦コートジボワール戦、第2戦ギリシャ戦ともに長谷部誠に代わり後半から出場。第3戦コロンビア戦は出場機会がなくチームも敗れグループリーグで敗退します。

ブラジルW杯以降、ハビエル・アギーレ体制となってからは代表から遠ざかっていましたが11月に代表復帰。同年12月、AFCアジアカップ2015の代表メンバーに選出され、日本代表としては初のアジアカップ4大会連続選出となりました。グループリーグ第1戦パレスチナ戦では先発出場で先制ゴールを決め、三浦知良選手が持っていたアジアカップの日本代表最年長ゴール記録(29歳9カ月)を34歳11カ月に更新、さらにアジアカップの出場数も通算最多となった。続く第2戦イラク戦にも先発出場し、国際Aマッチ150試合出場を達成しました。

ヴァヒド・ハリルホジッチ体制後からは代表に選出されておらず、ハリルはその理由を最初の代表発表の場で「遠藤は日本のレベルを上げてくれた。でもリストには入ってない。私はW杯ロシア大会の準備のために日本に来ている。メンバーは、今までのリストを中心に、さらに自分の考えを加えて作成している。遠藤はこれまで、日本のために貢献してくれた。敬意を表したい。」とロシアW杯時の年齢を配慮し選出しない事を宣言しています。

2013年9月6日に行われたグアテマラ戦で遠藤選手がFKで決めた得点以降、日本代表は直接FKでの得点は2018年11月に原口元気選手が決めるまでの約5年間ありませんでした。

個性的な人となり

輝かしい業績ももちろんですが、遠藤選手はその人となりが非常にユニークで魅力あふれる方です。何せ人気のある方なのでネットでも様々なエピソードが出てきますが、ここでは2つだけご紹介します。

ある番組でチームメートの方からの証言で、遠藤選手は車の運転がマイペースで一定速度でゆっくりと走るため後ろに車の列ができる「ヤット渋滞」が起こるとのことです。車の速度は30~40km。速く走らせようと思えばおそらくできるはずですが、あえてしないところがポリシーなのでしょうね。でも、練習に遅刻することは無いとのことです。その速度でかかる時間を計算したうえで早い出発をしているそうです。

ファッションに関しても造詣が深くyatto7というブランドを持っていらっしゃいます。専用のHPがあり、そこでTシャツやキャップなどのオリジナルグッズが販売されています。見てみると、既に完売のものも多数あり、入手できないものもあるようなので早めにご注文されたほうがよいですね。下にリンクを貼り付けてますので見てみてください。今回の出場記録更新の記念Tシャツも販売されていますが1度完売して再入荷とのことです。

http://yatto7store.com/

その中には東口選手のグッズも数点あります。

お酒も好きなようで、芋焼酎もプロデュースしており紹介されています。

遠藤選手の日常をつづったブログもあります

https://lineblog.me/yasuhito_endo/archives/2020-07.html

サッカーだけでなく色々なことに興味を持ちマイペースで取り組んでいます。

遠藤選手の家族構成は?

高校のサッカー部のマネージャーだった方でモデルもされていたことがある貴美子さんと8年の交際期間を経て結婚し、2人の男の子と2人の女の子を授かっています。息子さんにはサッカー選手になってほしいとのことです。最高の遺伝子が引き継がれていますから、実現して日本代表としてお父さんの様に輝いてほしいですね。

まとめ

ここまでの記録にたどり着くには様々な苦労もあったと思うのですが、遠藤選手はそれを微塵も感じさせない楽しいオーラを放っています。そして、常に何かやってくれそうな期待感を見る人に与えてくれます。年齢的にはスピードは衰えてくるはずですが、遠藤選手はスピードで戦うのではなく、広い視野と分析・判断の早さが武器なので経験が加わってさらに磨きがかかっていくのではないでしょうか。これからも試合に出続けて記録を更新していくことを願っています。